2011-06-28

Our non-human family grows...


Photo: Yani gets some ‘help’ with his morning drawing from 'Phoenix', the cockatiel.

Photo: ‘Olivia’, the chicken, thinks it belongs inside the house…Pacha has a soft heart!


Slow Mother Blog

June 28, 2011

Here in Australia the darkest day has passed and the light grows slowly brighter. We shared ‘candlenight’ with our good friends, cooking home-grown pumpkin and chickpea soup on our pot-belly wood stove, singing and playing the guitar, appreciating what we have and praying that everyone in the world finds a way to live in peace and simplicity.

Our family (of 3 humans, one horse, 6 chickens and many trees!) has grown slightly largely since a small tame ‘cockateil’ parrot landed in our garden, allowing Pacha to joyfully pick it up and take it inside. Despite putting up signs around the place asking if anyone has lost the bird, so far no-one has claimed it.

So, we have a new teacher! I didn’t realise just how much love and affection a small bird needs to be happy, snuggling up to our faces for a scratch and a whistling conversation. Phoenix insists on sharing our food (sitting on the edge of dishes to sample our meals), although she is well supplied with healthy millet. She spends many hours each day preening its feathers– even jumping into the dishwashing water for a warm bath. And the rest of the time she needs to be busy, mischievously active! As I write on the computer it chews up paper and threatens to peel off my computer keys…a little distracting.

I find it very hard to confine her in a cage – but outside she would be quickly killed by a bigger bird, so most of the time she sits on my shoulder, nibbling and whistling in my ear - flying around the house when the urge takes her.

We are lucky to be sharing our lives with such a wide range of animals that seem mostly just to ‘come’ to us and it is fascinating to watch the interaction between them and between the wild birds and animals too. It reminds me of the way of life of the Penan of Borneo, one of the last tribes of nomadic hunter-gatherers in the world. In their camps they keep many ‘pets’ - orphaned baby animals from prey they have hunted. They feed and look after these animals until they die from old age; they would never eat an animal they have fed even once, considering it barbaric.

Here in Australia recently the issue of exporting live animals for meat production in Indonesia has captured national attention after a documentary was shown on TV. People are outraged at the cruelty inflicted on these cows and have demanded an end to it. Perhaps this issue will help people ‘make the connection’ between their own consumption of food and where these products actually come from and how they are produced. In today’s industrialised food system; very few cows are treated humanly at any time in their life – and I think most people would find it very hard to actually kill an animal to eat it.




2011-06-18

For a million candlenight, for life


Candlenight
By Anja Light
In the darkest night, a flickering light
Of a brother or sister praying for peace
Soft, golden glow, a call for hope,
For a change in the way we live..

Where there’s light, there’s life.
Though it’s darkest before dawn,
It’s our right to survive,
To let life go on…
Chorus:
Unplug the noise, Face the music
Hang up the phone, Be in the moment
Switch it off, See things clearly
Cut the cord to the addictions numbing your soul

They say it can’t be done, Billions as one
Turning off the consumer machine
Here we are today, Leading the way,
Our dreams can set us free

Where there’s light, there’s life.
Though it’s darkest before dawn,
It’s our right to survive,
To let life go on…


Chorus:
Unplug the noise, Face the music
Hang up the phone, Be in the moment
Switch it off, See things clearly
Cut the cord to the addictions killing the Earth…

Candlenight, candlenight…….

2011-06-12

5/18和訳:ポスト311for survival

「ポスト311」を生き延びる~日本滞在7日間レポート


この20年間、私はひとりの歌手として、またキャンペーン活動を目的として、10年以上もの月日をナマケモノ倶楽部の皆さんに助けられながら、持続可能なライフスタイルを紹介するために、日本を何度も訪れてきました。

今回、東日本大震災からわずか1ヶ月後で、今なお福島からの放射能が降り続けている中開催された「アースデイ東京」に出演するために、私は日本に行くことを決めました。今後、地球を壊さない未来へと歩み始めた日本の皆さんの力になりたかったから。311以降、日本から入ってくる様々なニュースに、私は感動や怒りなど多くの影響を受けてきました。そして、今、心に平和を保ちながら「日本に行く」という決心を新たにしたのです。

アースデイ東京にて。隣は加藤登紀子さん。

■1日目 京都にて。


オーストラリアから大阪に到着した日本滞在初日の夜は、京都で友人たちと過ごしました。まゆみは、観光スポットとして有名な嵐山へ連れていってくれました。嵐山は、お寺や伝統的な民家が連なり、川の側にある日本庭園は、それはそれはまるで絵のように美しいものでした。

嵐山に着いたとたん、まゆみは、観光客がほとんどいないことに気付きました。外国人も日本人さえも・・。彼女は、おみやげ屋さんが閉まっているのを今まで目にしたことがないと言いました。でも、これが私が行った京都でした。ここは福島の原発からは、かなり離れたところにあると思われるのに。私は、日本の人々は信仰を失ってしまった、と感じました。

私はまゆみに、原発の被害についてどう思っているかと聞きました。まゆみは「私は単純に知らなかったの、原発がどれほど恐ろしいものなのか、そして日本にこれほどまで多くの原発(53基)が存在していたという事実を・・」。

まゆみはとても知的な女性で、すばらしい教育を受けたひとりの母親であり妻であります。そして環境活動にも取り組んでいます。彼女は仲間を集い、この災害で家を失った人々に、マイ箸と布の箸ケースを作り送り届けました。まゆみと仲間達は皆同じひとつのことを感じていました。覆われていた幕は開け、約束されていた安全な生活も、日本の豊かな未来も、今はもうどこにもないと。

■2日目 横浜のカフェ デラテラにて。


次の日は、私がパフォーマンスをするお寺がある横浜へ向かいました。このイベントの目的は、ボルネオのペナン族の生き方についてお話することでした。森を守り抜きながら平和な生活を送っている彼らの姿は、私たちに自然と、そして人々が互いに調和を保ちながら生きていくことの大切さを教えてくれます。

彼らの故郷である森の大部分は、日本の都市化、工業化へのプロセスの犠牲となってきました。都心の高層ビルたちは地震で揺れ動きながら重力に反抗しています。今、日本を支えてきたこの文化は、日本を地球から遥か遠く離れさせてしまいました。3千万以上もの人が住むこの東京では、毎朝のラッシュアワーの電車の中で押しつぶされ、ひどく孤独を感じている人々・・。ボルネオの深い森で一人静かに佇むよりも、東京では寂しさを感じている人が大勢いる事実、なんと皮肉なことでしょう・・。
ミュージシャンの松谷冬太さんとご本尊の前で、私たちは共に歌い、祈りました。これから進むべく道を求めるため、ペナン族の人々の知恵に影響を受け、地球と、そして私たちお互いのつながりを密に感じながら・・。

私は東京に住む母親たちに話を聞きました。彼女達はこの災害の後、どこに行きどこに住めばよいか決めかねている苦悩を話してくれました。正確な放射能の数値に関する情報が得られるまで子どもたちを連れて南の方へ逃げた母親達は、一部の自分勝手で人を見捨てるような考えを持つ人から責められもしました。

自然育児友の会の代表をつとめる友人のあつこは、原発のもっとすぐ近くに住み続けている母親たちが存在するにも関わらず、東京の母親たちが抱えてしまったパニックや恐怖を取り除くため、ネット上に繰り広げられている討論を緩和することに努めたと話してくれました。

■3日目 アースデイ東京
私は電車で横浜から東京の中心部(渋谷)まで行きました。イベントに来てくださった人々のために、私は寒い雨の日に行われたアースデイで演奏しました。その日はある意味、憂鬱でそして無謀な一日でした。私たちの討論はたくさんの問いに溢れ、終わることなく、完璧な解決策を誰一人として明言することができませんでした。

私たちが今はっきりと認識していることは、私たちが心の中でどのように感じているかということ。私たちはお互いがより近付き、批評をするのではなく、今までよりも多くの怒りを感じ、そして今まで以上の思いやりや勇気、創造力を抱きながら、以前の日本とは違うこの新しい日本に向き合っています。私たちのあらゆる感情は、泡のように溢れ出し、表面に現れてきました。ある意味、この大震災は、私たちに感情の解放という自由を与えました。
その日の夜、「つぶつぶカフェ」というオーガニックレストランで歌いました。友人である大谷ゆみこさんは、日本在来の穀物を知り尽くした女神。彼女は長年にわたり、食と栄養というテーマを基に、いのちのためのサバイバルを追及してきました。彼女の信念は深く、そして日本を変えていけるという希望に溢れています。マクロビオティックフードを取り入れていた長崎・広島の生存者の方達の実例を基に、玄米、お味噌汁、海塩、海藻類や梅干を摂取することこそが、放射能汚染から体を守り癌をも予防すると、彼女は言っています。
日本に住む私の友人達は、震災以来、自宅で和食を積極的に摂った結果、余計な体重が減り、健康になり活力がみなぎってきたと言います。
その日の夜は、ガレージにはどこも外国車が停めてあるセレブな界隈に暮らすともこの素敵な家に泊めてもらいました。ともこと旦那さんのかずひでと私は、答えの出ないたくさんの課題について、明け方まで語らいました。かずひでは東京電力について、興味深い話をしてくれました。東京電力とは、今毎日のようにニュースで取り上げられている今回の放射能流出を引き起こした会社のことです。

数ヶ月前、東京電力は、オール電化キャンペーンの一環で、追い炊きや料理にガスを使う人々に対し、ガスの代わりにもっと「安全」な電力をと促しました。オール電化へと切り替えたお客様には、ステンレスの水筒をプレゼントしました。

ガスから電力に乗り換えたかずひでは、早速もらった水筒を職場で使うのを楽しみにしながら、鞄の中に入れて持っていきました。ところが、数週間も経たないうちに、水筒から水が漏れてしまい、鞄の中に入れていた物がすべてびしょびしょになってしまいました。かずひでが水筒を手にとると、キャップに不具合があるのがわかりました。かずひでが「代わりのキャップはどこで手に入るか?」と東京電力に問い合わせると、「申し訳ありませんが、代替品はご用意いたしかねます。」と答えるだけでした。

でも、かずひではあきらめませんでした。もっと細部を調べてみると、なぜこんなに早く水筒が壊れてしまったのかがわかりました。水筒についている鋭い金属によって、キャップが傷つき口が開いてしまっていました。原因は明らかに水筒のデザインの欠如にあり、それは数ヶ月もすると水筒の中の水を保つことができないものでした。

東京電力が配ったこの数万個もの不良品によって、どれほど多くの人の持ち物が水浸しになり、携帯電話が使い物にならなくなってしまったことでしょう。(私は、これは、昨今の水筒ブームに対抗するための熟考された策略だったのではないかと思っています・・)

とにかくかずひでは、東京電力に電話し、水筒を受け取った多くの人たちが自分と同じ目に合わないよう、水筒を今すぐ回収するよう要求しました。ところが、東京電力はかずひでの要求を「丁重に」断り、代わりに今後は水筒が入ったギフトボックスの中に、「万一漏れが発生することを考え、気をつけてお使いください。」と書いた小さなメモを入れておく、と言ったのです!!

その後、今回の大震災と津波により、東京電力管轄内である福島原子力発電所の事故が起こりました。そして今となっては世界中の人々が知っています。東京電力がいかに、「漏れ」に対処する術を知らないことを・・。
かずひでは怒りでいっぱいでした。東京電力は担当者をかずひでの家まで出向かせ、水筒のことで迷惑をおかけしました、と「深く謝罪」しましたが、かずひではこれでは何も変わらないことを知っていました。水筒の漏れにさえ的確な対処ができない東京電力が、原子力発電所を安全に稼働させているなどということを、どうして私たちが信頼できるのでしょうか。そしてそんな彼らがどのようにして、福島の原発の放射能漏れを止めることができるのでしょう。
かずひでが一番不満に思っていることは、東京での電力の提供を東京電力一社が担っている、という点です。日本には他に10社もの電力会社があるにも関らず、其々の会社は競争を排除し、地域での独占事業を行っています。もし東京の人々が、東京電力の電力を拒否しようものなら、彼らには選択権がありません。電力がなくては、トイレも使えない、電気もつかない、水もお風呂も使えず、暖房も使えない・・。日本のほとんどの人は、彼らを生かしつ続けることさえできないたったひとつの会社に頼りきっているのです。

もしまた大きな地震が日本を襲い、状況が今よりも悪化したなら、もしその時浜岡原発がダメージを受けたら、どんな行動をとりますか、と私は人々に質問しました。「八方塞がりの状況でどこにも逃げることができないでしょう。北へも南へも放射能が広がり、道は閉ざされてしまう。そして住宅ローンの問題が残ります。家や仕事を残してどこかへ逃げても、どうにかしてローンを返済するお金をつくらなければなりません。日本の不況で、貨幣の価値は下がる一方で、家を売ったとしても借金を十分に返済することはできません。」と、彼らは答えてくれました。

険しい課題と挑戦が、今後の日本を(世界を)変えていくように私は感じています。日本に住む数え切れない多くの人々は今完全に塞ぎ込まれてしまっています。彼らは生き抜くためにどこかへ逃げることもできないのです。

この十数年で、私が住んできた貧しい国々に住む人々は、強さと、回復力、適用能力と創造力を持ち合わせていることを、私は本能的に感じていました。大震災を通してここ日本で、そのことが明らかになりました。「貧困」は自由を意味し、「貧困」とは生き抜くことにつながるのです。

■4日目 アースデー東京


次の日の朝、私はともことかずひでと一緒に、都知事選挙に行きました。40スクエアほどの大きな看板に、立候補者たちの顔と彼らのスローガンが日本語で書かれていました。投票する人たちにとっては(投票は義務づけられてはいません。)、この看板が、どの立候補者に投票するかを決める最初のステップになるそうです。

ひどく決心を固めた人、握りこぶしを掲げている人、歯をむき出しにして笑っている人など、彼らの顔の表情は様々でした。私の友人達は、「反核」と小さな見出しを掲げているたったひとりの人に投票することにしました。私は投票するコーナーに辿り着きました。そこでは、ものものしい行列がつくられ、正式な手続きが行われていました。そしてそこにある合板の机は、紙で覆われていました。それが私が見たすべてでした、すべてが順序正しく、またすべてがコントロールされていました・・でも本当にそうでないといけないの?
2日目のアースデイ東京は週末にあたり、春の陽気に恵まれ、とてもたくさんの人々が来場し共に祝いました。舞台でのたくさんのパフォーマンスを楽しんだり、連なる売店を眺め歩いたりしました。布オムツや布製の生理ナプキンを売っている店、マイケル・ジャクソンの「アースソング」を売っている店、大きな鹿肉のハンバーガーを売っている売店などもありました。この20年間で、日本の環境活動は本当に大きく成長し発展してきました。
アーズデイ東京では、ナマケモノ倶楽部も出店しました。ナマケモノ倶楽部は、もう10年以上も私が関っているグループで、幸せで健康そしてサステナブルなライフスタイルを追求しています。様々なキャンペーンを紹介する中、夏至と冬至の日に2時間だけ電気を消しましょう、というキャンペーンを行ったり、キャンペーンの成功を担う仲間達とドリンクを持ち寄って励まし合ったりもしました。今回のアースデイに込められている主なメッセージは「アンペアダウン」で、みなさんが家での省エネの為に、実際に取り入れてもらえる方法を紹介することが私たちの務めでした。

冬太と私は心から歌いました、お客様を巻き込んで、ふたりで一緒に書いた新しい歌である「ありがとう、さようなら、原発」を繰り返し繰り返し歌いました。私たちは原発を排除する準備ができた、今こそ動き出し、本当に安全で環境維持ができる未来を築いていく-これがこの歌に込められたメッセージです。

夜には私のお気に入りの場所、東京の郊外に位置する藤野を訪れました。藤野は日本で初めてシュタイナー・スクールが認められた場所で、とても活気に溢れたトランジション・タウンの活動が盛んな街です。そして日本で初めてパーマカルチャーを推進した街として知られ、たくさんのアーティスト達で溢れ、文化的な創造活動を行っていることで有名です。

伝統的なアーティストのヴィレッジ(芸術の家)にあるジャズバーでの演奏を終えた後、私たちはこの街の「movers and shakers(移動する人々と揺れ動く人々)」について語り合いました。かなり多くの人々が福島県より南へ、そして九州へ永住するために移動していった人達もいました。まだ原発の近くにいる人達は、自分達はまるで実験動物のようだと話していました。原発から漏れた低い数値の放射能を浴び続けた結果どうなるか、ということを政府はテストしているのではないでしょうか。

藤野で私たちは、日常の会話の中で、今回の震災について話題にすることがどれだけ難しいことかを、話し合いました。原発の問題については、様々な意見が飛び交っています。低い数値の放射能であれば人体に影響はないという報道や、一定量の放射能を浴びなければ「安全」だというお医者さまの意見など。そんな中で、日本の人達は原発についてほとんど口にしないようになってしまいました。

「普通」の生活に戻った、というのは見せかけで、何もかもが以前とは違います。もしかしたら、社会が(あるいは個人が)この状況に対してどう対処したら良いか、という教科書がどこにもないのが問題なのかもしれません。今もなお、従順で服従的な社会をつくり続けている日本では、自立した考えを持つことを歓迎されていません。人々は停滞し、混乱し、日本での生活は窮地に陥っています。

ひとりの男性が話してくれました。彼の娘さんは、100万ドルの景色を楽しめる、真新しい高層のペントハウスのマンションから引っ越したそうです。娘さんは、もし次に地震が来て高層マンションの中に閉じ込められ、電気が遮断されれば何もかも失ってしまうことに気付いたのです-水もトイレも暖房も使えず、エレベーターも動かない、そして高層ビルの中にいては窓を開けて外へ飛び出すこともできないのです。

私はシュタイナー・スクールで働いている友人に、どう対処しているのか聞きました。彼らは水道と大気の放射能を自主的に計測しているそうです。それによって屋外での被ばくを制限しているようです。(今年の運動会は屋内で行われることになったとか。)藤野を離れたのは数家族で、彼らが元住んでいた場所に戻りたい、と言った時にどうすればいいのかと頭を抱えているそうです。

アサンテサーナ・カフェにて。

■5日目 東京のダウンタウンにて


午前に、私たちは、東京のナマケモノ倶楽部のオフィスでミーティングを開きました。スタッフやボランティアの皆さんは一丸となってイベントを行い、ネットワークを構築し、震災の被害に遭われた方々を助けたり、メディアの取材に応じたりしながら、生存維持可能な未来へ向けての希望を胸に、リーダーシップを取ってきました。

ナマケモノ倶楽部は日本ではとてもユニークな存在です。幅広い年齢層で、色とりどりの人生を歩んできたみなさんが集まってできたグループです。彼らは「自分にできること」を周りの人とシェアしながら、支え合いながら活動しています。ナマケモノ倶楽部は、数ある環境団体の中でも、お互いを励まし合い、つながりを感じることのできる数少ないグループです。

今日の日本では、混乱や絶望感を抱えながら、脆く、今にも壊れそうな道を、皆で一緒によろめきながら進んでいます。と同時に、今後日本がポジティブに変容できる、という大きな希望と可能性を胸に、心のバランスをとりながら歩んでいます。

このテーマを掲げて、銀座のエコ旅館・吉水で行われた夜のイベントに参加しました。このホテルは、環境保護を推進した素晴らしいホテルです。有機食材を使ったお料理、ベッドから壁にいたるまで何もかもです。本当に美しく伝統を重んじていて、清潔でシンプルなつくりで、まさに東京の中心にあるエコロジカルなオアシスでしょう。環境のことを特に気にかけ、心配する外国客の多くが日本を避け、空室が続く中、吉水はイベントホールと化し、お客様で満員になりました。
ナマケモノ倶楽部の世話人の一人、高坂さんは「ダウンシフト」を掲げたベストセラー本を先日出版しました。人生をもっとシンプルに生き、過剰消費で競争社会な人生から退くことで、本当の人生を全うしよう、と彼は提案しています。私も高坂さんと辻さんと一緒に、原発事故が起こった原因にもつながるであろうこのトピックについて深く探求しています。

■6日目 国分寺のカフェスローにて。

朝、とても早くに目が覚めてしまいました。オーストラリアと日本では時差もないのですが、私の体内時計は、つものように日本のお日様の光に反応してしまうのです。私には、日本の人は夜も十分な睡眠を取れていないように見えます。人々は電気の目覚まし時計に起こされ、デパートは夜10時半頃まで開けておかないといけないような状況をつくっています。(私は、電力会社が利益を上げるために、わざと人々を寝かせておかないのではないかと、疑っています。それによって、24時間経営のコンビニが道に溢れ、世界のどの都市も夜通し明かりが灯っています。)

早朝にウォーキングをしていると、日本でも一番の観光メッカである築地魚市場がすぐ近くにあることを発見しました!日本を訪れるようになって22年も経つのに、私は初めて築地魚市場に行きました。それは本当に夢のような光景でした。ちょうど遠い未来から訪れた人が映画を見ているような気持ちに陥りました。世界中から送られてきた様々な魚やシーフードが並んでいました-でも今となってはこの魚たちはどれだけ汚れてしまったのだろう、と考えてしまいます。

福島の放射能だけでなく、世界中の海から流れてくるプラスチックや他の毒物からでた有害なものによって、汚染されていることでしょう。漁業に携わる懸命で、素直な漁師さんたちは、今、まさに先の見えない未来に直面しています。

3月11日以降、魚市場は観光客はほとんど見られず、もう誰もこの地球に浮かぶ遥か遠い海からも、あの美しい生き物たちを捕りに行くことはできません。

私たちは今、グローバルカルチャーに生きています。グローバルな衝撃、グローバルな責任を共有しています。福島原発のメルトダウンによって頭を抱えている東京の漁師さんたちが抱えている問題は、私の問題です。

私は朝のお風呂に深くつかりました、荷造りをして動き出す前に最後のイベントが控えていました。国分寺のカフェスローで行われたこのイベントの日は、ちょうどチェルノブイリ原発事故が起きた25周年に当たる日でした。ニューヨークアカデミーの科学者達は、チェルノブイリで亡くなった100万人の人の死因は、数値の低い放射能によってのことだったと、発表しました。

カフェスローは1ヶ月後の5月に10周年を迎えます。カフェスローは、発展的な考えやつながり、クリエイティブなプロジェクトを学べる場所として存在しています。子育て、栄養学、地域通貨や自然食品市場、有機的なデザインについて学ぶことができます。カフェを訪れた後、多くの人々の人生は変わり、農家の人と直接つながりを持ちオーガニックのフェアトレードコーヒーを配送したり、おいしく体に優しいマクロビオティックの食材を摂るようになりました。

今回のイベントのテーマが、「貧乏ライフ」と聞き、心が躍ってしまいました。

日本では貧乏になることは価値の下がることだと考えられています。過去、私の日本の友人達は私の貧乏ライフを紹介すると、私に丁寧に、その生活スタイルは応援できないわ、と忠告してくれた時期もありました。

でも私は、少ない収入で、クリエイティブなチャレンジを続ける生活を愛していました。人々が捨てた物を集めて家を建てたり、皆がいらなくなった服を子供たちに着せたりしました。また、どうしたらお金をかけずに、シンプルな食材でおいしい料理をつくることができるかを学びました。これは、私のように実際にはもうどこにも「降りていく」場所を持っていない者にとっての、「降りていく」ライフスタイルでもあるのです。

「貧乏」ライフスタイルを送っている松本さんは、クリエイティブで芸術的なこのイベントの主催者です。彼は毎日東京の街に出て、原発廃止を多くの人々に訴えています。そして彼の書物を通して、今、「貧乏」ライフスタイルが人々の間で、理解されてきています。松本さんは、辻さんと松谷冬太さん私と一緒に、貧困や生存の今後の役割、また3月11日以降の日本が挑戦していくこと、について話し合いました。
イベントに参加していた友人のひとりが、その日の朝に福島で撮影したビデオを見せてくれました。彼の頬には涙がつたっていました。原発から20キロ圏のところで、車内で計測していたガイガーカウンターは振り切れていました。おそらく地面は降り続く雨によってもっと高いだろうと彼はコメントしてくれました。

地元でセブンイレブンで働く20歳の女性に、いますぐここから出るよう懇願しました。雇い主にも彼女をここから出すよう訴えたそうです。でも店主は、「政府が私がこの地域にいても安全だと言っているので、そのアドバイスに従います」と言うだけでした。
私には、社会が、もっと欲しい、という中毒にかかってきた結果の症状として、福島の原発事故が起きたように見えるのです。人々が、本当の豊かさや幸せとは何かを察知する感性が失われてしまった真実が、今浮き彫りになっています。

行き過ぎた便利さである24時間営業のお店や自動販売機はどこの街角にもあります。テクノロジーを駆使してつくられたトイレは、座るとすべてのことをしてくれます。日本の電気消費量は70年代から、5倍も増えています。そして今日では、毎年3万人もの人が自ら命を絶っています。私が話しをした誰もが、放射能の恐怖にさらされ続けるより、少ない電力で生活していきたいと言っていました。

この大震災によって、多くの想定外のことが起こり続けています。日本は世界でも、教育を受け知識に富む人が多く、国としても発展していて、高い技術を有している国です。しかし、日常の常識に対してはどうでしょうか?欠如のある場所に、誰が原発をつくったのでしょう。不要になったものを貯蔵できる解決策も持ち合わせてないまま、誰が、危険で高額な原発を設立したのでしょう。今回の原発事故で、直接放射能の影響を受け苦しんだ人々が、どうしてこの技術を使い続けると言うでしょう。もしこれが、「良い教育」を受けた人々の行動であるならば、私は今すぐ子供達を学校から連れて帰ります。
オーストラリアへ帰国。
私はこの旅で、葛藤の感情が湧き上がり、心がもやもやとしていました。オーストラリアに帰ってきて、少しホッとしました。今も尚続く震災後の影響に立ち向かっている日本の友人達のことを思うと胸が張り裂けそうになります。と同時に、特に若者が先頭に立って、生存可能な未来をつくっていくために行動を起こし始めていることに感動しています。

ここオーストラリアでは、日本の大震災については今はもう報道されていません。東京電力が完全に放射能が漏れていることを公表し、事態は想像していたより遥かに悪い状態であるということを今やっと認めたというのに・・。

続けて高い数値の放射能が検知されている福島では、放射能汚染地域で働く大人たちが年間に浴びても安全だと言われている数値を以前の6倍に引き上げました。福島の子供達は、放射能汚染の未来を宣告されました。

私はみなさんにこちらのサイトの申請書に署名をすることを、お願いしています。(http://fukushima.greenaction-japan.org/petition/)放射能汚染地域に住むお母さんや子供達にそこから立ち退き(必要であれば、このオーストラリアにでも)、喜びに満ちたクリエイティブな人生を送ってほしいのです。しかし、この決断をするのは、個人個人にかかっていることと承知しています。自分自身に尋ね、考えをシフトさせ、私たちの人生や生き方を変えていこうではありませんか。

(翻訳:小倉明子)

2011-06-08

Life as 'Normal'?


Slow Mother Blog

May 30

Life as ‘normal’?

However hard I try, I can’t stop thinking about Fukushima – though it has left the media headlines here long ago, and life seems to go on as usual.

I guess this must be what its like in Japan too. How do you enter into any meaningful conversation about anything without feeling like a killjoy? How do you take appropriate action while still managing to care well for your children and your household?

The contradiction between this everyday, comfortable, joyful existence and the knowledge of the continual assault on the life support systems of the Earth is stark and seemingly impossible to reconcile.

Yet, life goes on, and perhaps that is the source of sanity – just the knowledge that life goes on and we have the privilege to celebrate it. We breathe, we eat, we sleep, we interact…and here in Woombah we have little to complain about. The weather is getting cooler, so we fire up the pot-belly stove from time to time and we set a bonfire blazing in the cool night air with our friends on the weekend.

Pacha and Yani have been growing and thriving day by day. Last week they both represented the school in the long distance running contest for the whole region. Pacha came second place ahead of 100 other runners of her age group and will go to the next level next week. What was most exciting to see was her smile even before she reached the finish line. Only Pacha can smile like that after 2 kilometres!

Yani came 29th and looked like he would never move again at the end of the race…he must have put in everything he had. He says he prefers surfing! He was chosen by our local surfing club to compete against a neighbouring town, Angourie, on Sunday and was doing very well in the massive surf until a wave dumped him and the fins on his board slashed into his thigh. Now he has an impressive scar to remind him of this rite of passage!

We finished the weekend with a long walk with Ollie and a neighbourhood friend, finding a perfect place by the river to take the horses swimming. Along the way there were sea eagles, night-hawks, falcons, pelicans and any number of other birds. As the sun began to set the sky and clouds lit up in delicate colours and shades of grey…and I found myself asking to no-one in particular; isn’t that enough? Why do we want more than the priceless existence we have been given?