2012-02-05

2/1和訳:パチャとヤニの転校

パチャとヤニは今年度から新しい学校に通います。

これは我が家にとっては重大な決断です。何時間もかけて、考えては話し合うことを繰り返しました。パチャとヤニと私は、メリット、デメリットについて話し合い、校長先生やほかの教師たちに会ったり、一緒に学校へ行ったりしました。興味深かったのは、校長先生が私たちと面談する際、「私の学校は『ハッピーな』ところですよ」と何度も繰り返したことです。

このブログを読んでくださっている方の多くはお気づきだと思いますが、一般的な「教育」に対する私の気持ちは複雑です。子どもたちと9ヶ月にわたってエクアドルに滞在したとき、私は子どもがどうやって学んでいくのかを直に体験しました。子どもたちは自然の中で遊び、歌い、踊り、絵を描き、植物を育て、知らない言葉を話し、自分らしく過ごします。だからといって子供たちの「アカデミックな成長」が妨げられることはないようです。パチャとヤニは、学びの道具を与えられて、自分たちにとって有意義な道、人生を豊かにする、役に立つ道を選んでくれると信じています。

エクアドルから帰ってきて、子どもたちをオルタナティブ・スクールに通わせる、あるいは、ホーム・スクーリングについても考えましたが、結局は、地元ウーンバの小さな学校に通わせ、私自身もできるだけ学校を中心とした活動に関わっていこうということに落ち着きました。多分関わりすぎてしまうのでしょうね…。子ども会、そしてPTAの活動によってたくさんのいいことが実現しました。校庭で食べ物を育て、遊び場を作り、音楽の先生を雇い、環境によりよい校舎に移り、持続可能性について学ぶクラスができました。

でも、生徒や父兄の大多数、「サイレント・マジョリティ」は、自分たちのアイディアが新しすぎ、先鋭的すぎるのではないかと心配になることがあるようでした。この印象は、校長先生とわかちあうことはできないのです。校長先生はとても公正で献身的な人ですし、生徒たちに心から慕われています。しかし彼にできることはそれほど多くありません。街では少しずつ(学校の活動に対する)反感が芽生えてきているのを感じましたし、それがパチャとヤニに影響するのではないかと私は心配になってきたことが、転校の大きな理由です。

結局このことは、今でも私たちの文化を形作っている考え方、マインドセットに関係することですし、もうひとつ、正直に言うならば、困難に挑む人生を歩んできた私は、子どもたちにも困難に挑むことを期待してしまうのです。自然や弱い立場にある人、社会的なステータスが高くないとされている人たち、「ずっとこうしてきた」やり方を揺るがすような新しい考え方、そうしたものを支配し、管理しようとする考え方に関係があるのです。

ある日学校で、私は野生的で自由、生産的でクリエイティブな考え方や表現と、命令と管理とのぶつかりあいを目の当たりにしました。正面のフェンス伝いに伸びていたパッションフルーツのつるが引きちぎられていたのです。このパッションフルーツは、学校の正面に設けられた、作りこまれた装飾的な庭にいつの間にか生え、庭への水遣りと手入れのおかげで花をつけました。私はここ数ヶ月というもの、この植物を見守り、ひそかに応援してきたのです。

パッションフルーツは生徒たちのために、愛らしくてオーガニックで健康な実をつけることができたはずですが、生えてはいけない場所に勝手に生え、統制の取れないものとみなされてしまったのです。大したことではありません。大抵の人は気づきもしないでしょう。しかし、私にとってはとても象徴的な出来事でした。子どもたちにはパッションフルーツのつるのようになってほしくないのです。

新しい学校が完ぺきなものだという保証はどこにもありません。どんな学校も完ぺきでないことも分かっています。それでもパチャとヤニにとって、新しい何かに挑戦することが許され、人生に存在する選択肢を全部知ることができるのは重要だと思うのです。さあ、新しい学校生活はどうなるでしょうか。

(翻訳:小林直子)

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