2012-09-15

9/13和訳:「地球1個分の暮らし」という夢を生きる

(日本の作文コンテストに応募したエッセイ)
パチャ・ルーケ・ライト



私が自分自身と世界のために創りたい未来は、私たちが幸せに、かつシンプルに、地球を破壊することなく平穏に暮らすことができると皆が気づいている世の中です。

私の夢は、私にとって既に現実のものとなっています―でも、私は、他の人にも、このように暮らしたいと思わせることができたらと望んでいます。

私は地球という1つの惑星の上に暮らしています。そして、私はそれで十分なのです。


「豊かな」国といわれるオーストラリアの、私の住んでいる通りのご近所では、人々は、地球2個か3個分、あるいはもっと多くを必要とするような暮らしをしています。

このあたりのふつうの家には、4つの寝室と2つの浴室があるのが一般的です。菜園を持っている人はあまり多くなく、芝生だけはたくさんあり、それらは多くの電気と生活用水を使用します。どの部屋にもテレビがあり、子どもたちはあまり外に遊びに行きたがりません。親が子どもたちを学校に送り迎えする光景がそこら中で見られます。

私のクラスメートの多くは、食べ物や新しい洋服、あるいはおしゃれにたくさんのお金を費やしています。彼らの親は、たいてい仕事に忙しく、子どもたちの運動会や発表会を見に来る時間がありません。また、私の周りには、一日の多くをビデオゲームをして過ごし、体重や健康に問題を抱える子も多くいます。

私たち家族は、そういう「ふつうの」人とは違った生き方をしています。そして、「ふつう」とは違った暮らしをしていることで、私たちを貧しいと言う人もいます。でも、私は、自分たちは幸せだと思うし、地球に優しい暮らし方をしていることでとても気分がいいのです。

私たちは、ほとんどリサイクル素材でつくった小屋を家として住んでいます。洋服を含め、私たちが使うほとんどすべてのものは、誰かの「お古」です。

うちには、私たちの排せつ物が、循環して果樹の成長に役立つコンポストトイレがあります。電気は太陽から、水は雨水から、すべて無料でもらっています!

私たちは、庭で果樹や野菜を育て、多めにできれば隣近所の人にお裾分けをします。私たちはあまり肉を食べません。けれども、時々、友達が魚を捕まえてきて、私たちに分けてくれます。

毎朝、私はインコやワライカワセミなどの鳥の声で目覚めます。窓から木々を眺めれば、ワラビーが草を食んでいるのが見えます。そして、起き上がった私は、野生馬のオリーに餌をやり、彼と遊びます。

すべてが平穏で理にかなっています。私たちは、どこにいても、このような安らぎと自然とのつながりを見出すことができると思います。

私が自然とのつながりを最も実感し、「ああ、生きているなあ!」と感じるのは、海に入ったときです。サーフィンをしていると、波のエネルギーがぶつかり、押しあうのを感じることができます。そして、そのエネルギーに任せ、あっという間にワックスを塗っただけのサーフボードが波の上に立ったときの楽しさとスリルといったら!―美しい緑の波の上でのひとすべりは、とても言い表せません!

私は、何か大好きなことを見つけたなら、そのことこそが人生を愛おしいものにするのだということを、サーフィンで学びました。

おそらく、私たちが南米エクアドルで、ほとんど物を持たずに暮らしてきた経験があるから、ここオーストラリアにおいて、比較的物を持たずに暮らすことが容易なのでしょう。

エクアドルでは、私たちは未舗装の道路から歩いて1時間かかる、雲霧林の泥で作った家に住んでいました。近くの小川から水を汲み、それを飲めるように沸かしていました。熱いシャワーが浴びたい時は、朝に黒いビニール袋に水を入れておけば、午後には暖まった水で一洗いすることができました。

電気がなかったので、絵を描いたり、躍ったり、庭仕事をしたり、木にのぼったり、本を読んだり、森の中を歩いたり、近所の人を訪ねたり、馬と遊んだりと、ありとあらゆる遊びをしました。

今になって私は、このような経験は、何にも変えがたいものであることだと気付きました。私たちは今でも、毎日の暮らしにおいて、エクアドルと同じ習慣を実践しています。弟と私は、時々、一日に1時間以上踊る時もあります。バス停へ歩くときには歌を歌い、オペラを歌って競っては、目に涙が出るほど大笑いします!

家や近所にいない場合、私たちは、だいたい砂浜でサーフィンしたり、泳いだり、砂丘から飛び降りたり、もしくは岩場をのぞきこんだり、テントを張ったり、友達や家族とスケートをしたりして遊んでいます。

「地球1個分の暮らし」は、みなさんの誰もが手にできる最善のライフスタイルだと思います。お金を持っていれば必ず幸せだとは限りません。本当の幸せとは、人生における素晴らしい思い出と、それらを分かち合える友人や家族の存在によってこそもたらされるのではないでしょうか。

また、本当の幸せは、今あるものに感謝することだと思います。人々がそれらの「今、ここにある幸せ」に気づいた時、少しずつではあっても、彼らもその幸せを手に入れたいと思うことでしょう。

私は既に私の夢を生きています。私がこれからの社会に望むことは、誰もがシンプルで、平穏で、幸せな暮らしを自ら選ぶことができるということに、みなが気づくことです。

【翻訳:平戸実生】

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